◇◇◆【2】つづき◆◇◇
120名余が参加して、有事法制反対! 憲法改悪反対! の声を上げる
「改憲ではなく憲法の実行を! アフガン戦争と日本、有事法を語るつどい」を開催
(2002年2月24日 京橋プラザ区民館多目的ホール)


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有事法制定・憲法改悪・日本の参戦についておおいに〃だべる〃120分

有事法制は、国民の生命、労働者の生命にかかわる問題  津惠正三さん(航空労組連絡会副議長)

津惠)航空労組連絡会の津惠です。私のあとに発言される方々の団体の名前には全部「憲法」がついていますが、私どもは労働組合でありまして、「憲法」はついていない団体です。
 私たちがガイドラインの問題や平和の問題にどういう立場で取り組んできたのか、それからガイドライン以降
トントンと戦争をする国になった日本、その中で今度有事法制がやられるという事態に、私たちがどのように取り組もうとしているのか、今の取り組みの状況を報告す
るかたちで発言をしたいと思います。
 97年9月に新ガイドラインができて、3年前に「周辺事態法」が通されました。その時、私たちはこの問題について、「憲法擁護」という問題は確かにありますけれども、航空産業で働く労働者と利用者である国民の生命にかかわる、安全にかかわるという視点でとらえみんなで考える必要があるのではないかと提起し組織の内部で論議しました。ですから、反対の理由の中に「憲法擁護」もありますが、私たちが反対した理由からいくと、それはもっともっと後ろの方にくっついてくる理由になります。
 なぜ国民の生命、労働者の生命にかかわる問題か。新ガイドラインにおいて、日米がどういう体制で「周辺事態」に対処するのか、民間の協力についてはどのようなことが盛り込まれているのか、このことについて実際には生々しいことが起きているわけではないので頭の中に描いてほしいのですが、いざ「周辺事態」になったときに民間航空に課せられているのは空港の使用、しかも、運用時間を延長してでも軍隊の飛行機が降りれるように、通常の民間機が利用できない時間についても空港を使用する。それから、民間航空機も輸送の一翼を担う、民間航空機を「兵站活動」に組み込んでいきたい、そのために民間に協力をお願いするのだという協力条項が盛り込まれています。そうしますと、いざ戦争、もしくは「周辺事態」となって、武力衝突が起きる場面に、私たち民間の航空労働者がかりだされて、物を運んだり、もしくは怪我をした兵隊・人を運ぶ。まさに戦争の一翼を担う勢力として私たちが組み込まれるわけです。これは、われわれ自身が攻撃の目標にされる業務に従事させられるわけですから、まさに命と安全が脅かされる重大な問題です。これで本当に旅客の生命、国民の生命、労働者の生命が守れるのかどうか、そういう視点から考えて反対だということで取り上げました。
 これは何も航空労働者だけではありません。運輸産業で働く労働者はみんな同じような立場に立たされます。ですから新ガイドラインの時には、運輸産業で働く労働者は、組合によっては「連合」加盟であったり、「全労連」加盟であったり、中立の組合であったりと、全国的な労働団体の違いはあっても、それを越えて、みんなで声をあげようと呼びかけて、陸・海・空・港湾の20労組が結束して全体に呼びかけて、新ガイドライン反対の運動に立ち上がってきました。このような論議をしてやってきましたから、今でも私たちは新ガイドライン反対の闘いの延長線上で20労組の集まりをやっています。
 ガイドライン関連法が成立して施行されたときに私たちは、絶対にガイドライン法を発動させない、発動しても与しない。こういうことで運動を継続しようと確認し、20労組はこのかんもいろいろ情報交換をしながらやってきました。ガイドライン法が通ったとき、この次は必ず有事法制がくる、有事法制の時にも立ち上がろうじゃないかと約束して、ガイドライン以降、有事法制の問題点についても20労組で学習をしてきました。そして状況が熟したときに、みんなで意見をまとめてまた闘いを呼びかけようということで今日までやってきました。

 有事法制反対で大闘争を!
 2月26日に20労組が「声明」をだします

津惠)そして今の私たちの運動の状況ですが、20労組で今「声明」をまとめています。2月26日に、ガイドラインに反対するみんなは、宗教もあれば、平和という切り口から入ったところ、私たちみたいに生命と安全から入った人、いろんな人がいますが、有事法制に反対するという一点で大闘争を組もうじゃないかという呼びかけを発表しようと思っています。
今の状況を見ると、ガイドラインの時よりも、有事法制にたいする受けとめ方には鋭いものがあります。運動の広がる要素というのはそのときよりも大きいのじゃないかと思っています。そういう意味で、個々の団体がそれぞれの立場でやっている運動を、何か全体を束ねて国会包囲するような運動が何回でも組めるような状況を、私たちも呼びかける側に立ってつくっていきたい。その一翼を担って運動をしていきたいと思っています。

職場でどう議論し、運動をつくっているか

津惠)しかしながら、この問題については、組合員にいろいろ学習会を呼びかけてやってもいますが、なかなか難しい、組織の中においても大変難しい問題です。なぜ難しいかというその一端を紹介したいと思います。例えば、パイロットは、養成に非常に時間もかかればお金もかかります。ですから、お金がある人は自前でお金を出して養成学校を出てパイロットとして就職することができます。しかし、パイロットはそれだけでは足りない。そこで、自衛隊で戦闘機のパイロットをやっていた人たちが大勢業界に入って民間機の機長をやったり副操縦士をやったりしています。ですから、憲法の問題をこと細かくつっこむといろいろ矛盾がでてきます。職場は、そういう人間の集まりなんですね。それでも、日本が本当に戦争をやる国になっていいのか、自らが加害者の立場に立っていいのか、あるいは、行きたくないという人を強制力をもってかりたてる法律を許すのかどうか、こういうところで論議をすると、一致点が出てくるんです。はたから見ると結構厳しい、いわゆる国防色で染まったような人もいます。ところが、そういう人たちも含めて議論をすると、命と安全にかかわる問題だという一致をみ、この問題は取り組めるとなったのです。ガイドライン以降、いろんな切り口で論議して見えてきたのですが、国民に語る切り口というのはいろんなやり方があるのじゃないか、そこを工夫すればもっともっとこの運動を広げていくことができるのじゃないかと思っています。そういう立場から、二十六日は、有事法制は絶対許さんという立場で、みんなが行動を一緒にしようじゃないかという呼びかけをしたいと考えています。
 いま労働組合の内部でいろいろ学習をしていますが、なかなか組合員もピンとこないんですね。いま戦争が日本で起きていてそれにかりだされるというわけではありませんから、なかなかピンとこない。しかし、いろいろ織り込まれようとしている内容をみると大変な問題だと思うのです。先ほどの基調講演の中にもありましたけれども、ガイドラインの中にも出ましたし、そして有事法制の研究の中にも出ましたが、自衛隊、もしくは米軍の行動を円滑にしようという時には、例えば、自衛隊法103条の発動、研究の中ではもう具体的にでています。徴用の対象として、運輸産業や病院などいろいろな産業や施設が入っています。そこで働いている人たちについては、そこを経営している人たちも含めて自衛隊の行動が円滑にできるように物資の保管や業務従事の命令ができる。それが、有事法制によって、今度は強制力をもってできるようになる。刑事罰もつけられるとなる。こうなると刃向かえば犯罪人です。そうやって強制されていく。こういうことが本当に組み込まれていいのかということを組合員に訴えて、さらにこれからは全国のみなさんに訴えて大きな運動にしていきたい、こういう構えでやっています。
 是非、ガイドラインの時以上にみなさん方もこういう運動に積極的に参加していただきたいし、私たちもその時以上の働きをいろいろな場所でやっていくような状況をつくっていきたいと考えています。

戦争防止の先頭にある憲法九条と前文を否定する有事立法と改憲には徹底的に反対を!
  ――久保田眞苗さん(「憲法」を愛する女性ネット代表)


久保田)「スカートを踏む男」「鏑矢を献上する男」、短期間にこれほど小泉さんの本質が明らかになったときはないと思うんですね。小泉さんが「支持率が上がろうが下がろうが改革はやるんだ」と言っていることがいかに空虚に響いていることか。そしてこれから有事法制を彼が推進するときの重みがどういうものか。いま、非常にチャンスだと思います。

 中曽根―中山主導の憲法調査会をほうっておいてはいけない

久保田)私どもの「憲法を愛する女性ネット」は発足して一年半になるのですが、活動の一つとして憲法調査会を毎回ウォッチしています。そこから見えてくることなのですが、まず、参考人が主で、議員自身の意見陳述の時間が非常に少ない。その上、低調な出席率。意見も粗末なものが少なくない。国会議員がこんなにも忙しく、こんなにも不勉強のまま憲法に手をかけようとはとんでもないことです。九条については国民と国会の間に大きなギャップがあります。意見不明者も多いのです。国会議員は全員が調査会で意見開陳をすべきです。有権者は投票の参考にするため選挙区の議員の意見を知る権利があります。国会議場という責任ある場所での意見を。
 これまでの議員討論の中で、中曽根康弘・元首相が少なくとも四回発言しています。彼は、他の人の発言時間まで使って調査会をリードしています。そして、それに呼応しているのが中山太郎・会長なんですね。つまり、いまの改憲の動きというのは、中曽根―中山のラインですすめている。あの人(中曽根)が主導権を持ってやっているわけです。そこをまず警戒しないといけません。
 というのは、その中曽根が何を発言しているのかといいますと、昨年12月6日の調査会では、前文、九条、非常事態など、いくつもの点を取り上げておりました。中曽根はおそらく九条改変はそれほど簡単でないことを知っていると思うんですね。隣国がやかましいですから。そこで、政府解釈をもっと拡大しようとしています。例えば、「憲法第73条の内閣の外交権を使え」と発言しています。憲法九条をないがしろにして既成事実をつくっていくことを内閣の裁量権でやろうとしているわけですね。
 それから、「必要最小限の集団的自衛権」ということを言った上で、「必要最小限というのは歴史や時代によって変わっていくのだ。変わっていくということを認めないといけない」と発言しています。それはつまり、昨年つくられたテロ対策特措法でもって地域限定を全部とっぱらった、世界中どこへでも自衛隊が行けるといい、それも「必要最小限」だというわけです。そういうことを中曽根は、本質はあまりしゃべらないで、みんなにサジェストしていく。しかも、今年中に討論はおしまいだ。来年は各党の改正要綱だ、その次の年は国民を巻き込む運動の期間だと言っているわけです。
 憲法調査会では、憲法擁護派は若い方がずいぶんしっかりやっています。けれども私は、このままではイニシアティブは向こうに取られていると思うのですね。そこで私は、有事立法の上程がさし迫っているこんにち、それこそ少ない時間をうんと活用する意味からいっても、憲法擁護派の議員は全員が憲法調査会にでてもらいたい、特に幹部クラス、志位さんにも土井さんにもでてもらいたいと思っています。そのことを私は、明日(2月25日)星陵会館で有事法制反対の集会がありますから、そこでも要望しようと思っています。といいますのも、中山会長は、今年六月にも憲法調査会の「中間報告」をだすといっていますね。憲法擁護派が、憲法調査会の場で積極的に発言しなければ、「中間報告」が改憲派の意見ばかりでまとめられてしまうことになります。改憲に向けての手続きが積み上がっていくことになります。それをほうっておいてはいけない。それが一つです。
 
私たちも世界の良識の一員にならなければならない

 有事立法と改憲には徹底的に反対を!
久保田)それからもう一つは国際情勢の問題です。いま、憲法にとっては非常に望ましくない情勢になっていると思うんです。例えば、日本人の多くは「テロも報復も反対」だと、そう考えて発言していますが、ブッシュさんに言わせるとそんな中間はない、どっちにつくんだ? と。それで「今年は戦争の年だ」となるわけです。非常にきな臭い、オリンピックさえもああいうとげとげしい雰囲気になっている。それが世界全体を覆っていくのじゃないかと思うんです。このままではいけません。
 私は、世界には良識があるから、どんどんこれから良識がでてくるだろうし、自分もその一員にならなければと思っているんです。EUでは、すでにブッシュ政権にたいする大きな批判が生まれていますね。それらを見ると、先には希望が見えていると思うんです。これまでの歴史の中でたくさんの戦争があり、それを防止する努力もたくさんありました。その戦争防止の努力の一番先にあるのが憲法九条であり憲法前文だと思うんですね。それを捨てるということは歴史を大きく逆戻りすることにしかならないと思うんですね。ですから、有事立法や改憲にたいしては、やれるだけは徹底的にやってやろうと思っております。
 私ども「憲法を愛する女性ネット」では、3月2日に教育基本法の問題で集会をやります。というのは、中曽根が「教育基本法を改正する必要があるということがはっきりしている。あれは憲法の理念にのっとったものだから改憲の必要も当然出てくる」と、まるで逆のことを言ってますから、これにも注意しなければならない。教育基本法の問題でもがんばって、法の下剋上の憂き目を憲法に見せないようにしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


地域に根ざした「地べた」からの運動を!
――相原龍彦さん(憲法擁護・非核平和を進める中野区民の会)

相原)中野区といいますと、教育委員の準公選、「非核平和宣言」、それから革新区長、という印象があったかと思いますが、こんにちでは違ってきています。
 それはともかくとしまして、私はもともと電車の運転手でした。中野電車区の分会長を17年間ずっとやっていました。そういう関係でいろいろな地域の人たちと知り合いました。一般的には、17年間も分会長をやっていますと、だいたい支部から地方本部の役員に、あるいは議員になるというのも珍しくはないのですが、私の場合には、やはり地べたでやっているのもいいのかなと思いまして、今も鉄道退職者、現役の時の仲間と話をしたり忘年会をやったり、こういう運動をさせてもらっています。
 私は、元来、本を読むのも大嫌いで勉強もしてないのですが、子どもの頃、貧乏だったこともあって反権力の気持ちはずいぶんありました。学校に行かれないのですよ。忙しいときには小学校も休みました。もちろん高等学校にも行けませんでした。お金もなかった。なぜ自分がこういう貧乏に生まれなきゃいけないのか。それが私の原点だともいえます。
 
いろいろ議論し、学びながら、幅広い運動を!
相原)さて、私が事務局をやっております「憲法擁護・非核平和を進める中野区民の会」についてお話しします。この会は、1991年2月17日に結成しました。それよりも三年くらい前からいろいろ準備をすすめまておりまして、最初は、「守る会」という名称でした。それが、いろいろ運動をしている中で「『守る会』では弱すぎる」ということでみなさんと議論して「進める会」になり、この会ができました。
 当時はいろいろなことについて議論をしました。例えば、中野区で自衛隊の自動車などはいっさい走らせないとか、江古田に自衛隊があったのですが無線基地もだめだ、戦争状態になったって道路は使わせないとか、原子力発電所についてはどう考えるのかとか、本当にいろいろと議論しました。その中で、意見をまとめて、区に陳情をだしました。それが採決されて、1990年4月に「中野区における平和行政の基本に関する条例」ができました。そして、二億円を積み立てた基金もつくられました。
 それから、私どもの会の運動ですが、会員は130名程度で、年一回、定期総会を開いています。それと、学習会を年に二、三回、昨年10月には、元山さんにお話をしていただきました。それから、駅頭行動、日帰りのバス旅行をずっと続けています。バス旅行は、非常に好評を博し、松代、東海村、足尾銅山、五日市、アウシュビッツなどなどに行きました。結構そういうのが専門的に好きな人がいて、計画を立ててくれています。必ず帰りには酒の工場に寄り、学んだり遊んだりしながらやってきています。それから、広島や長崎との交流、地域労組との交流もやってきました。
 最近では、中野区でこういう運動をしてらっしゃるところと一緒になって運動をできないものかと、「思想・信条をこえて平和憲法を守り、核廃絶のために中野から大きな波を」という大変長い名前の会をつくり、先日、学習会をやりました。また、「新春のつどい」をついこのあいだやりましたが、これには地元のいろいろな文化人の方にも来ていただき、いろいろと教わりながら会の運動に生かしてきています。これからもみなさんに教わりながら中野区で一生懸命がんばっていきたいと思います。よろしくお願いします。(拍手)

横のつながりを大事にして、「声なき声」をすくい上げていく運動を!
――川田正美さん(民主主義と平和憲法を守る文京連絡会代表)

川田)私の職場のある文京区というのは、以前から民主勢力が強くてそれなりに伝統のある地区です。私がかかわっております平和委員会が戦後早くから発足したのも文京区です。
 「民主主義と平和憲法を守る文京連絡会」(略称 文京連絡会)は、昨年八月に結成されたばかりの会です。まず、この会をつくるに至った経緯についてお話しします。
 はじめにお話ししましたように、文京区というのは、民主勢力が強く、伝統のある地区ですが、横の連絡は弱いという印象を持っていました。そして、今から三年ほど前になりますが、当時、そもそも運動の広がりに限界を感じたところに加えて、ガイドライン法以下数々の法がいとも簡単に通ってしまった状況を間近に見まして、本当にこのままではどうしようもないな、しかし、情勢の割には運動が盛り上がってこないな、ということにいらだちを覚えまして、やはり横のつながりを大事にしないといけない、まずはすでにある既存の組織とどう横断的に手を結びあうか、ということが大事だと感じたわけです。
 それから、これはいつも考えていることなのですが、なかなか声が表面化しない。六〇年安保の時に当時の岸首相は「私は声なき声を聞く」と言いましたが、まさに、この「声なき声」をどうすくい上げればいいのか、それをどうやって結集できるか、このことをいつも考えていたものですから、この機会に私が理事長をやっております平和委員会だけではなくて、他の団体とも手を組んで一回り大きな組織にしたいということと同時に、区民の方々がどのくらい平和を望んで戦争に反対している気持ちを持っているのか、そこをどうすくい上げていけるかということで会の準備を始めました。そして二年間準備をしまして、ようやく昨年8月、結成にこぎつけたわけです。
 
「声なき声」をどうすくい上げるか
 区民をどう掘り起こしていくかが課題

川田)この二年間、準備をしておりまして、私もずいぶん勉強になりました。私も組合をやっていますが、リストラだ何だと、労働組合では平和の問題を組合の方針として掲げても、殆ど取り組めない。方針として掲げているといっても、後ろの方に掲げられている。それでも、あるだけまだ良い方だと、そういう状況になっています。そういうなかで、こういう課題でもって結集するということは、やはり平和委員会がワッとやらなくてはいけないんだと。そういうことを感じました。
 それから、私も、長らく文京区でやっているのですが、区の中でどれだけ組織だったものがあるかということは実はあんまり知りませんでした。そこで有給休暇をとって、夏の暑い盛りに一所懸命、仲間と車で廻ったりして、こういう所にこういう組織があったのかと知り、勉強になりました。
 そうして去年の夏に、ようやく「文京連絡会」を立ち上げたわけです。立ち上げたとたんに、例のテロ事件が起こって、急に忙しくなって、こういうときだからこそ、つくっておいて良かったと思いました。
 ただ、つくりはしましたけれども、私の願っていた、区民をどれだけ掘り起こすか、そういうことがなかなかできていません。まず第一にやり方をどうするか、どうやったらそれを訴えられるか、街頭にでて訴えるとか、新聞に折り込みをするとか、掲示板をだすとか、いろいろありますけれども、はっきり言って手探り状態です。
 
いまは宣伝が大事
 運動をどう広げていくかを一緒に考えよう

川田)今後の有事立法反対の具体的な取り組みにかんしては、有事立法学習会を3月19日に予定しています。それから、私は出版労連という、出版労働者の組織に入っていますが、平和問題ではなかなかまじめな組織で、平和共闘委員会というのをつくっています。そこが主催して3月7日に学習集会を行います。
 それから、「6・9行動」、原爆を落とされた広島・長崎にちなんで、6と9の日に街頭で反核署名を行っています。三月六日に大塚駅頭でやりますが、文京区民にとどまらず結集する。今は宣伝がすごく大事だと思いますので、ぜひ合流していただければと思います。
 くり返しになりますが、これからどういうふうに有事立法の問題も含めて運動を広げていくのかということが、声なき声をどこまですくい上げるかという事もからめて、今の課題です。みなさんと考えていきたいと思っています。(拍手)

戦後50年の後退戦をうち破っていくためには、自分に染み入っているものを自覚し、
のりこえていく努力が大切――片岡豊さん(日本国憲法をくらしに生かす会事務局長)


片岡)板橋で「日本国憲法をくらしに生かす会」という会をつくって、憲法のいろいろな勉強をやっています。私たちの会は、2000年5月3日に立ち上げたのですが、よくよく考えてみると、2000年5月3日にこういう会を立ち上げなければいけないということ、このこと自体が実は大変な問題なのではないかと思っています。と申しますのは、先ほど小澤先生から有事法制研究の経緯についてお話がありましたが、よくよくふり返ってみると、この問題について、われわれはある意味でずっと後退戦を強いられているんだなと改めて感じさせられます。一方、この間日本国憲法がどういう状況にあったかというと、ことにこの10年くらい、改憲の攻勢が圧倒的に強くなってきている。そういう中で立ち上げざるをえなかったということなのです。そこでいろいろ議論をするわけですが、その中で、極めて個人的に感じている問題を二点お話ししたいと思います。これはある意味で僕自身の悩みでもあるわけですが、後ほどみなさんからいろいろなサジェスチョンをいただければと思います。
 
自分自身が日本国憲法をどれだけ実態化しているのか
片岡)憲法についての議論は会でもやりますが、職業柄(大学教員)学生たちに近代文学を語るということをやっておりまして、学生たちとも授業の合間に憲法の問題だとか、テロの問題だとか、そんな話をするんですね。そういう中で、改めて自分自身で考えさせられることがあるわけなんです。きょうのつどいのタイトルに「改憲ではなく、憲法の実行を!」とありますが、果たして僕自身が日本国憲法をどれだけ実態化しているんだろうかということを、ふと考えてしまうのです。
 ふり返ってみますと、例えば、僕が少年期、小学校時代どうだったのだろうと思い起こしてみます。1950年代から60年代にかけてですけれども、60年安保闘争の前後ですね。この頃小学生時代を過ごしているのですが、そのときに、例えば、あの歌、「原爆許すまじ」を音楽の授業で習いました。一方で、卒業式やらで、「日の丸・君が代」も同じ小学校でやっていました。そういう環境の中でこども時代を過ごしているのです。当時、日本国憲法、教育基本法、戦後の民主主義教育の中で、家庭ではどういう現状があるかというと、圧倒的に家族主義イデオロギーが強く支配している。僕の家庭のみならず、もう少し輪を広げてみてもそうした実態がいっぱいあるわけです。そのような経験を幼少時にしているわけです。
 今、憲法の問題についていろいろ動いている僕の中にも、実はその当時植えつけられている、何かがある。それを自ら払拭しない限り、なかなか本当の力にはなっていかないのではないかと、そのようなことを学生たちと話しをしていて、ふと感じたりします。つまりは戦後の民主教育の中にも、戦前の大日本帝国憲法下における価値観といったものが静かに流れていて、戦後生まれのわれわれの中にも、それがどこか染みついているのではないかと思うのです。それが一点です。
 
自分に染み入っているものを自覚し、のりこえることが大切

片岡)それともう一つ、これに関連することですが、例えば先ほどから「憲法擁護」という言葉がでておりました。あるいは、「護憲」という言葉が一般に使われます。ところが僕は、なかなか「護憲」という言葉を自らの言葉として口に出すことが、しにくいのです。
 それはなぜかと言いますと、去年の暮れ、ある赤ん坊が生まれてちょっとした騒ぎになりましたが、天皇制の問題とからんでくるわけです。「象徴天皇制」というかたちがあるわけですが、この「象徴天皇制」が人々の意識の中にどのように入り込んでいるのかということを考えてしまうわけです。若い人たちは「天皇なんか関係ないよ」というようなことを表向きは言ったりもしますが、どこかで、「天皇制タブー」、そういうものに取り込まれているのではないか。しかもそれは、このような運動をやっているわれわれ、少なくとも僕の意識の中にも、例えば天皇制の問題を議論するということ、これ自体が、ある種、勇気を出さなければいけないというような側面があるのではないかと感じています。
 つまり、僕は1949年生まれで、今朝のテレビで浅間山荘事件から30年ということを取りあげており、僕の世代としては、いろいろ考えてしまうこの頃なのですが、そのような戦後生まれの、戦後民主主義教育を受けてきたはずの僕自身にも、そういう何かが染み入っているのではないかと思うわけです。それは、僕だけの問題ではなくて、僕の世代、あるいはもっと若い人たちの、あるいは、僕に教わった学生たちにも僕を通じてなんらかのかたちで変に染み入っているかもしれない。そういったものをそれぞれが自覚し、のりこえる努力をしていかないと、この戦後50年の後退戦をうち破っていくことができないのではないかと、今、切実に考えているわけです。
 ぜひ、みなさんのご意見を伺わせていただければ幸いです。

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