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※以下はつどいにおいての全発言を記載したものです。<続き 3> < 1 2 3 >
爆弾を落とされる側の視点で考えるべき――三輪さん
三輪)
「イラクが解放されて良かった」という意見があると紹介されました。私は先ほど、イラク攻撃について国際法の主権原則に反するという観点が大事だと言いましたが、国際法原則云々というのは少しきれい過ぎる視点だと思います。もっとリアルな問題が大事だと思います。ある日突然爆弾が落とされる。それをイラクの人たちはどう思うのでしょうか。国際法云々という前に、どうイラクの人たちが思ったのかということを、そこを一回くぐらないとリアルな話にならないと思います。「復興」がどうのこうのとか「人権侵害がこんなにあって」というのは、こちらサイドの、もっと言うとアメリカサイドの報道ですよね。イラクの普通の人たちのサイドからの報道ではありません。殺された人の、あるいは殺された人を身内にもつ人の視点ではありません。私たちは普通の生身の人間のリアルな目でもっときちんと見ないといけない、イメージしないといけないと思います。
「反北朝鮮」宣伝とレーシズム
三輪)
北朝鮮の問題について一言でいうと、私たちの中にレーシズム(人種主義)があると思います。どうして北朝鮮だったら攻撃してもいいのでしょうか? 私が言ったことにたいして、「有事法制は『アメリカの先制攻撃に加担するものだから良くない』というのは分かる。しかし私たちがもし万が一のために備えることが何故いけないのか」という反論があるでしょう。そこで次に私はこう言います。「実際にあり得るシナリオは、まずアメリカが先制攻撃して、それにたいして北朝鮮が後方支援している日本を反撃することで、そこではじめて日本有事の可能性はあるかもしれない」と。それにたいして「三輪さんの話でいくと『万が一』があるかもしれないじゃないですか。やはり有事法制は必要だ」とくるかもしれませんね。これにどう反論するのか。軍事力によって「万が一」に安全を守ることはできない。これが答えだと思います。G8加盟国に代表される現在の先進国の社会は高度に都市化されていて、不自然なほどに便利である反面きわめて脆弱です。これを攻撃し破壊・混乱に陥れるには専門的技能も必要でしょうが、大規模な動員に支えられた軍事力は必要とされません。911事件が示しているように、何人かの死を決意したグループでもあれだけの被害をもたらすことは可能です。そしてこうした攻撃から守ろうとすれば、私たちの日常生活は息苦しいまでに統制され常時監視されたものになるでしょうし、それでも"矛盾"という言葉の謂れが教えているように防御が高度化すれば必ずそれをかいくぐる途が探られます。「万が一」を起こしてからでは遅い。とすると、「万が一」の原因になることを減らすか、それとも9・11の後アメリカ政府が決断したように先制攻撃を選ぶかしかないのではないでしょうか。
「万が一」を惹き起こさないようにするためには、まず相手方に脅威を与えない、むしろ反対に相手方にとって必要な存在に日本がなっていくことが現実的な選択肢です。反対に、現に巨大な攻撃能力をもっている日本が、それに加えて相手方の反撃があった場合にも備えるということ、つまりミサイル防衛などの迎撃態勢をもち有事体制をととのえるということは、相手方にとってはその先に残っている関門は、ただ攻撃するか否かの日本の決断だけとなることを意味します。「万が一」を惹き起こす最大の要因である脅威を減らしていくためにどのような政策が必要となるか。それは簡単に論じられることではないので、ここでは省きます。
もう一方に先制攻撃の選択肢があるでしょう。とんでもない独裁政権で民衆は自由どころか飢えに苦しんでいる。こうした大規模かつ深刻化している人権侵害は放置できない。従って武力介入も許される。これが攻撃を正当化する理屈付けです。しかし、こうした発想には朝鮮・韓国の人々にたいする蔑視があると思います。海を隔てた日本列島にいても容易に想像できることは、まず武力攻撃が朝鮮・韓国の人々にとって受けいれがたい被害をもたらすことです。それは日本にいる私たちの被害ではないから人権のためという大義のもとには許されるというでしょうか。そもそも朝鮮・韓国の人々は武力介入を求めているとでもいうのでしょうか? 第一の当事者が求めていなくても、彼らは問題の深刻さが分かっていないから、分かっている我々が代わりになって判断し行動してあげるとでも言うのでしょうか? 傲慢としかいいようがありません。
イラクの人たちをずいぶん殺したけれどもけっこう少なかった。こんな調子の評論がありました。こんな言葉をイラクの人々が聞いたらどう思うでしょうか。つまり視点が、とても一方的な、一国という単位で自国中心になっていると思います。例えば、韓国の人たちはそんなことは考えていません。日本の国内に三十八度線があると想像すればいいと思いますが、それなら同胞同士の戦争なんて絶対できない、殺し合いなんかできないという話です。ところが、一国的な発想だと「われわれ日本人五百人がテロで殺されるかもしれないのであれば、先制攻撃で五千人殺すのもいいんじゃないの」となってしまいます。このような発想は、9・11後のアメリカと同じレベルです。なぜ石原都知事の発言にあれだけ喝采が上がるのか、あるいは、イラク攻撃反対運動は盛り上がったけれども有事法制反対の声はそれほどでもないのか、その原因について、私は少しレーシズムのにおいを感じます。それはもう戦後の平和運動の中にもまだあって、あまり自覚しきれてなかった部分かもしれないと思います。
アメリカの先制攻撃を止めるためにも有事法制を制定させない
三輪)
アメリカの先制攻撃をどう止めるのかについては、有事法制を制定させないことがまず大事だと思います。いま朝鮮危機が、単に日本の問題だけではなくて世界規模の問題として出てきています。有事法制が通れば、アメリカが北朝鮮に先制攻撃をしても自衛隊は自動的に参戦します。もちろん〃アメリカの先制攻撃を止めなければならない〃というご意見はそうだと思いますが、有事法制を通さないことによって私たちは責任の一つを果たすことになると思います。
「熱いハートとクールな頭をもった」運動を
三輪)
「効果のある運動」が大事だというのはそうだと思います。とりわけ、反戦平和の勢力が少し押し込まれてきている時には、知恵をしぼり寄せ合うことが大事だと思います。日本社会はいろいろなところで自由と民主主義がおさえられています。そのために、デモに行くと、いつもは言えないことが大声で言えるという解放感がある、あるいは同じことを考えている人がいるという開放感がある、それは大事なことです。しかし、そこで盛り上がること自体が目的ではありません。日頃言いたいことを言えないうっぷんを晴らすためではありません。やはり変えるためにやっているのです。運動はあくまでもある政治社会的効果のためにやるのであって、カタルシスのためのものではありません。しかし、運動が全体として疲れているせいか、「本当の有効性がどうなのか」という問題をつきつめず、「こんなこと、あんなことがしたい」という主観的願望だけでも「それは良いアイディアだ」とがむしゃらになるところがあるのではないか、と率直に反省します。
私は、やみくもに訴訟を起こすことには疑問に思うことが多いのですが、一人一人がどう生き生きするか、納得できる運動ができるかが大事だと思います。私ひとりが何ができるかを横につなげて、しかしそれが同時に効果を持つような運動はどういうものかを、冷静にデザインする必要があると思います。例えば、良心的兵役拒否のもっと大きなバージョンで、戦争協力拒否宣言をすることですね。具体的には、業務従事命令が出て、職務命令が出て、それを拒否した人でも処罰されないような法律制度をつくっていくことが狙いです。いまの戦争は、国家総動員体制を必ずしも必要としない戦争ですから、すべての労働者に職務命令が出るわけではありません。しかし日頃から「私は、戦争になったら気を失って役に立ちそうにないから嫌です」「今のうちに言っておくから忘れないでくれ。私は震えがきてダメだから戦争協力はできません」など、普通に言える人が増えていくことが必要です。しつこく、しつこくそれをやっていく。それを広げていく。そして戦争協力を拒否した人でも処罰されない法制度ができれば、それは単に一人一人の個人の思いの充実だけではなくて、制度に結びついてくる。そのような設計、知恵をふるう必要があると思います。
その点でいうと私たちの運動というのは、まだまだそういう知恵を出し合う環境にはありません。率直に言って、反対運動する人の中にいろいろな立場の違いはありますよね。訴訟を行うべきだと言う人もいれば、新聞広告を出すべきだとか、新聞広告を出すよりイラクに金を送ろうとか。志しが同じ方向を向いているといっても、実際にやっていることや考えていることは随分に違います。しかし、違うのは当たり前です。問題はやっていることや考えていることが違う者同士が、互いに連絡をとり、意見交換し、同じ方向を向いている志しを実現するために力を合わせることができるかです。現実には、まだまだ互いにレッテルを張り合って、意見交換はおろか連絡すらできないことが少なくないのではないでしょうか。そのようなことも含めて冷静に話せるような環境をつくっていく必要があると思います。その点、日本の運動というのは、いわば子どもがうっぷんを晴らしているレベルです。「熱いハートとクールな頭をもって」という言葉がありますが、「クールな頭」で少し異質なものの間の力を集めることをやりませんか?(拍手)
「日本有事」の「備え」として法案が不十分なのは現実にあると思っていないから
三輪)
自衛隊が、「予測される事態」において展開予定地域で陣地構築できるということについてですが、海上自衛隊や航空自衛隊は、飛行機や船が出て行く先まで市民は監視できませんから、防衛出動がなくても事実上作戦行動に移ることができます。しかし、陸上自衛隊はできませんでした。だから陣地構築できるようにするという規定を設けたのです。なぜそれが必要なのかというと、一つは、北朝鮮の特殊部隊や海軍が入ってきたとき――その時にはすでに北朝鮮の海軍の大半は攻撃されてつぶされているでしょうが――に対艦ミサイル基地を構築するためです。もう一つはレーダーサイトをつくるためです。その時にゲリラコマンダーや反戦運動だのがあるから、自衛隊が武器使用できるようにするというものです。
しかし武器使用についてはすでに「テロ対策特措法」改正の時にあわせて自衛隊法を変えて、治安出動のための情報収集活動や米軍基地の警備などで自衛隊が出動する際の武器使用基準が緩和されていますから、防衛出動の前にわれわれにたいして武器を向ける可能性は、以前から増えていたのです。
ただ、これまで自衛隊は日本有事の演習はしたことはありません。〃すでに住民が避難した後〃というシナリオの演習だけしかやっていません。〃真面目な〃自衛官は、住民を含めた演習を何回かやって何が必要になるかを検討した上で有事立法をつくりたいと言っています。その点では、今度の法律はまだまだ不十分ではあります。しかし、どうして穴があるのでしょうか。「国民保護」が欠けているというような大きな穴がどうしてあるのでしょうか。それは、こんなことを現実に考えていないからです。どうして日本海側にあれだけ原発があるのですか? 自衛隊は守れないと言っています。『文芸春秋』二月号と『世界』の去年の五月号、今年の六月号に『東京新聞』防衛庁詰めの半田滋さんという記者が記事を書いています。それが示している結論は一つ、9・11の教訓と同じです。武力によって日本は守れないということです。しかしこのことは六四年に松下圭一さんが「都市化社会の防衛構想」ですでに言っていたことですし、自衛隊自身が分かっていることです。
憲法改悪と有事法制は、ワンセットで反対を!
大学生・男性)
自民党憲法調査会の「改憲草案」には「天皇を元首化する」「陸海空三軍を持つように明記する」「日の丸を国旗にする」と書かれているそうで、驚きました。
憲法の理念がいいと思っている人の中にも「有事法制は必要だ」という人がいます。しかし僕は憲法改悪と有事法制とはワンセットで反対しないといけないと思います。是非ご意見をお願いします。
反対の声が無視されているとはいえ、黙っていてはいけない
男性)
政府は、個人情報保護法案や有事法制の制定、教育基本法改悪、裁判費用の敗訴者負担制度、そして最終的に憲法改悪を狙って、数的には国会でも十分通せると思ってすすめていると思います。そもそも民主主義は少数意見を尊重するものだと思いますが、国会議員は、今日みたいなまじめな集会を無視してどんどんすすめています。有事法制も通ってしまって今日は参加するかどうか迷ったのですが、それではいけないと思って来ました。これが私の現状です。(拍手)
運動が広がらないのは、「北朝鮮脅威」論のわかりやすさと、有事法制の問題点のわかりにくさゆえ?
大学生・女性)
先日、私は初めて有事法案を読みました。先ほど北朝鮮の話がありましたが、私も尾崎さんと同じように、北朝鮮のミサイルが飛んできて自分の命が狙われるかもしれないと思うから理性的になれないのです。「北朝鮮が攻めてくるかもしれない。ミサイルが飛んできたからでは遅いだろう」と言われると、そのミサイルで私が殺されるかもしれないと考えると、「やはり有事法制が必要だ」いうのは説得力を感じます。しかし「有事法制が危険だ」というのはすごく分かりにくいし、自分の言葉で有事法の問題点を人に話すことは難しいと思います。そこがなかなか運動が広がらない原因ではないかと思います。
なぜ、マンモスより大きい自分の姿(米日)は見ないで、ネズミ(北朝鮮)だけを見て怖がっているのか?
三輪)
「恐さ」について、二つのレベルで言います。惑星が落ちてくる可能性、流星が落ちてくる可能性、隕石が落ちてくる可能性はゼロですか? ちがいますね。可能性ということであれば無限にあるわけです。でもそれを「恐い」とは言いません。交通事故に遭う可能性なんてとても高いです。こちらが予期していなくても、あちらが突っ込んでくる可能性があります。これを「恐い」と感じますか? 感じないで時速100キロ出しているじゃないですか。「北朝鮮が恐い」というのは、三万人が自殺して、青年が大学を卒業しても確実に職がなくて、どうなんだという時代の中でつくられているものだということが一つです。
もう一つは、自然災害とテロや不審船や戦争とは全く違います。人間が起こすことは相手の意思に働きかけることができるのです。だから、北朝鮮にどのくらい日本を攻撃する能力と意思があるかを考えるのがリアルな話だと思います。能力はほとんど無いと自衛隊は認めています。では、実際の意思としてどうなのかというと、いま「瀬戸際政策」をとっているという別の問題はありますが、最初からつぶされることが分かっていながらやるとは自衛隊も米軍も考えていません。なぜこのようなことをリアルに見ることができないでしょうか。トマホーク6000発を持っているのはこちらの方ですよ。米第七艦隊はすさまじい核を持っています。相模原などにはたぶん生物化学兵器があるでしょう。なぜ私たち自身がマンモスよりも大きな姿になっているのを見ないで、ネズミがキーキー言っているのを見るのか。これは私たちの心理のあり方に何か問題があるのではないかとみるのが、私は合理的だと思います。落ちついて考えることができないこと自体を見据える必要があると思います(拍手)。
司会)
イラク反戦の運動が盛り上がったのは「市民が政党や労働組合に頼らないでやったから」という意見がありますが、市民も労働組合も政党も力を合わせていかないと有事法制を止めることはできません。そこで、労働組合でがんばっている方からお話しをお願いしたいと思います。
職場、地域から、家庭から、自らの一歩を踏み出していこう!
片岡豊さん(東京地区私立大学教職員組合連合 書記長)
片岡)
僕は「日本国憲法をくらしに生かす会」の事務局長ですが、作新学院大学の教員として働いています。近現代の日本文学研究が専門ですが、職場では教員であると同時に教職員組合の一員でもあります。1979年に私立学校に勤務して以来ずっと組合活動をしており、その半分以上は執行委員をしています。その結果としてはたからはいわゆる「組合活動家」とみなされることにもなりますが、僕の意識としては中学生や高校生が生徒会活動・クラブ活動をやるのと同じような、当たり前のこととして考えています。そして去年の秋から東京私大教連の書記長も務めることとなりました。つまり一身の中に市民活動家があり、組合活動家があり、研究者があり、単なる教員があり、それらすべてを合わせて僕は一市民、一個人だと思っています。
十年くらい前に、たまたま住民運動に携わっていた時に、地方自治体の労働組合の研究会に参加したことがあります。その研究会は組合が住民運動とどういう関わりを持つべきかということがテーマになっていたのですが、僕は組合活動家の方に対して「地域に帰ったときに、どういう活動をどういうふうにしていらっしゃるのか」「組合活動を一生懸命やっているだけではまずいのではないか。地域に帰ったときに地域の一市民として、自立した人間としての活動ができなければ組合もやはりダメになってしまう」という発言をしました。そういう僕ですから、それを自ら実践しなければいけないと思い、ワールド・ピース・ナウのデモ、あ、「デモ」じゃないね、「パレード」というんですよね。どうも僕は古い人間で(笑い)、「デモはデモじゃないか(笑い)。怒りをぶつけるところはホントに怒れよ」と言いたくなってしまいますが……。しかし、あえてその言葉を呑み込みつつ、若い人と一緒にやらなきゃと思いますし、ある時は私大教連の書記長として参加したりもします。
それぞれの場で、まずは一人一人がみずから一歩を踏み出していく。それは地域であり、職場であり、またそれは家庭でもあると僕は思います。家庭の中でご飯を食べながら楽しくこういう話ができたら、日本はもっといい国になるのではないかと思います。これからの運動の行く手を考えるときに、ひとこと、結論的なことになるかどうか分かりませんが、まずはそれぞれが自分の足できちんと立つところから始めましょう。そうしないと明るい21世紀は展望できないのではないかと思います。以上です。(拍手)
司会)
議論はまだまだつきませんが、会場の都合で終わらざるを得ません。最後に、パネリストのみなさんから一言ずつお願いします。
運動をメジャーにするためにがんばろう!――神野さん
神野)
僕は運動の「効果」をあげるためには、運動をメジャーにすることと、先制工作することが大事だと思います。運動をメジャーにするためには、敷居を低くして広める。思想が多少違っても一緒に活動する。関心がない人も巻き込んでしまう。反対することに喜びを覚えるのではなくて(笑い)、活動自体に充実感、満足感、喜びを見いだせるようにすることが大事だと思います。例えばピースパレード、音楽を使った活動をしたり、浜崎あゆみに何か言わせるなどして運動をメジャーにしていけばいいと思います。
「先制工作」というのは、海外に発信して海外との連携を強めたり、あとは自分たちから新しい提案を先に出してしまうことです。できてしまったものに反対して止めることはできないので、その逆をしてしまう。今後そういったことを、三輪さんのおっしゃった「運動のデザイン」ということを、「熱いハートとクールな頭で」(笑い)やっていくことが大事だと思います。以上です(拍手)。
自分の問題としてとらえるようになることが大事――尾崎さん
尾崎)
私は、どうやって広めようとまでは考えていないのですが、自分の問題としてとらえるようになることが一番大事ではないかと思っています。「何かよく分からない」とか「外国のことだし」とか思ってしまうところがあるのですが、実は自分自身の生活に関係していて、自分の問題としてとらえることが大事だと思います。「若い人」といっても、みんな関心はあるし、おかしいと思っていたり、何かしたいと思っているので、問題提起の仕方を考えていかないといけないと思います。
ちょっと最後にお知らせですが、昨日メールが回ってきて、ブッシュ大統領とブレア首相がノーベル平和賞にノミネートされたそうです(会場がどよめく)。本当に信じられないし、黙ってられないし、休む暇もないと思います。がんばっていきましょう。(拍手)
一歩踏みだすこと、きちんと分析し考えることが大切――丸山さん
丸山)
いま尾崎さんは「仲間がいる」と言われましたが、この言葉は私にはとても印象的でした。今日ここにみなさんが来ていただいたのも、そういう感覚で来ていることが大事なのではないかと思います。確かにけしからんことが一杯あるから嫌にもなりますが、自分が出来ることをやってみようと一歩踏み出してみることが大切だと思います。投書をしたり電話をかけるというのは有効で、放送局の場合だと三つや四つ同じ意見が来るとすぐ上に報告します。特にテレビなどは敏感です。
同時に、「クール」という話がありましたが、やはりきちんと分析して考えてみること、勉強することもすごく大事なことだと思います。簡単にいうと、先ほどの北朝鮮の話などそうですが「何となく」という話がどうも多すぎると思います。「何となく」というのを、理性の問題に取り戻していく作業が私たちに求められていると思います。
私のレジュメの一番最後に書きましたが、二十世紀は確かに戦争の世紀でしたが、同時に「戦争」が「違法」になっていく時代でした。核兵器がつくられたことによって大きな戦争はできないということが確認されてくるようなそういう時代です。だから逆に、アメリカの論理からすれば、イラクにたいしてやったような先制攻撃もやらざるをえないのかもしれません。しかし、それでいいのかどうか。
一方で1000万とも2000万ともいわれる民衆が、一斉に立ち上がって戦争に反対する、それがインターネットで瞬時に世界中に広がる時代です。そう見ていくと、仲間は世界中にいるわけです。
私たちはそういう時代に生きているのであって、国連は、確かにバカにされたような感じはありますが、それでもアメリカの意見に全部は従わなかったことが大事だと思います。私たちの周辺には、いっぱい友だちがいるという確信を持って堂々とやっていった方がいいと思います。(拍手)
運動を広げるために、それぞれの運動が手を取り合い、いいと思うものをシンボルにしてコミュニケーションしていこう!
――三輪さん
三輪)
私は三月にイタリアに行って来ました(旗を広げる)。二つ言います。労働組合のことが話になりましたが、2月15日、日本では集まりが悪かったです。当たり前です。「セブンイレブン」、つまり7時に出勤して11時に帰宅するというのが圧倒的多数の社会です。そんな長時間労働をやっているところで、いつ集会やデモをやるのですか? ヨーロッパやアメリカの運動が強いのは、要するにそういう時間がまだ確保できているからです。いまの日本社会で、どこでどういう格好で私たちの自由や人権が守られているのか。そのためにそれぞれの運動が何をやっているのか。「労組と一緒にやるのはどうも嫌だ」という人が、集会をやっても人が集まらないと嘆くとしたらこれは悲劇です。私たちが仕事の後で集会に出て行くことができるような労働時間を実現する、それは組合運動をやっている人たちが一生懸命やっていることです。そういう全体の現実をみて、その中で手を取り合っていくというのがリアルなものだと思います。
二番目は、この旗はきれいだという声があがりました。私もそう思います。「敷居を低くする」という話が出ました。それはとても大事だと思います。イタリアの運動を見てみると、「こいつだな、2000年の知恵は」と思います。きれいな建物、きれいな家、きれいな音楽。要するに露骨にいって「色と金」で人々を引きつける。やはりまずは、きれいなもの、美しいもの、いいと思うもののシンボルを私たちがとる。そして人が集まる。その次にコミュニケーションしていく。こちらがそういう仕掛けをしていくというところで、もう少し元気になりませんか? 私もいろいろ考えたいと思います。私は勝手にワッペンをつくりました。これを見た人が「何? それ」と私に聞いてくれるので、これがきっかけになっていろいろ話しすることができます。そういう仕掛けをいろいろ工夫しませんか。以上です。(拍手)
閉会あいさつ
世の中を変えたいという気持ち=怒りをずっと持ち続けてがんばろう!
川田正美さん(民主主義と平和憲法を守る文京連絡会)
川田)
私はこの間、先ほど「アピール」を読み上げてくださった佐々木さんたちと一緒に、四週連続で、有事法制反対の国会要請を行いました。しかし、むなしかったです。なぜかというと国会議員の秘書しか応対しないからです。特に自民党議員の秘書なんてみんな厚化粧で、見とれているうちに「分かりました、分かりました。先生に言っておきます」とだけ言われて終わってしまいますので(笑い)。民主党は「すべて前原先生に任せてます」です。
さらに、先ほど丸山先生もおっしゃったように、マスコミの体たらくです。私も朝日新聞社に電話しましたが、やはりマスコミがいまの状況ではどうにもならないです。
私は組合出身だからマスコミと団交をやりたいと思っています。組合で団交をする時には、だいたい業務部長や労務担当が出てきて「分かりました。社長によく言っておきます」といいますが、「社長を出せ」というところから始めます。だから私どもの意見に責任をもって応対できるような人間を出せ、ということで、やはりみんなでチームをつくってやることがいいやり方ではないかと思うんです。
それから『朝日新聞』に民主党の前原誠司議員と自民党の久間章生議員のインタビュー記事が掲載されました(五月十五日付)。非常に気になったのは次のことです。記者が「若手の国防族は自民、民主両党の壁を超えています。今回の修正合意も象徴的でした」と言ったことにたいして、久間議員が「ある意味では危ない。みんな『やれやれ』になっている。批判が出てこない空気は気になる。次の選挙でああいう(共産、社民両党のような)勢力がまた減っていくだろうと思うと、いいのかな、と。翼賛になってしまったら……。」と言っているんです。こんなこと久間さんに言われたくないですよ!(笑い・拍手) 実は以前、野中自民党議員も国会で「大政翼賛会にならないでほしい」と言っていました。つまり、このクラスになるとそういうことを言えるんですね。
一番こわいのは中堅どころです。国会要請の話に結びつきますが、私設秘書には任せておけないということで「私が応対します」と、奥から別の秘書が出てきたことがありました。それは、次の議員を狙っている自民党と公明党の秘書です。彼らが一番こわいです。こちらがいろいろと質問しても、ボンボン答えます。やる気満々です。結局結論としては「有事法制はやはり必要だ」ということになるのですが、あのやる気満々の中堅どころをもっともっと批判していかないといけないと思います。ここがポイントだと思います。
北朝鮮問題についての想定問答集をつくろう! 経済を勉強しよう!
川田)
講師の方々が大変有益なことをおっしゃってくれました。これをこの場で終わらせないようにしましょう。
わけても、北朝鮮問題。これが出てくるとグラッとする、困る、とみんな感じていると思います。そこで提案です。相手がこう言って来たらこう答える、というような「想定問題集」をつくりましょう。アンチョコでいいからとりあえずつくる。そういうマニュアルが必要だと思います。
さらに提案です。いまなぜ政府は有事法制なのか、軍事力を必要としているのかということを考える上で、経済を勉強することが大事だと思います。そのために、さしあたり実教出版の『政治経済』をお薦めします。
私の女房が言うのですが、「お父さんは平和運動だとかデモだとか言うけれど、経済を全然勉強していないから上滑りするんだよ。だから私はそんなところに行かないで、これからまた畑に行きますよ(笑い)。農業することが経済の勉強になるんだから。経済は私の方が分かっていますよ」と。
なんせ経済のイロハは難しいですが、しかしこれは検定教科書だから分かりやすいし、有事法制、徴兵制も最新版の情報として出ています。新聞で分かりにくい言葉もみんな解説されています。電話番号は、いいですか(笑い)、3238―7777です。是非、買って下さい。
松井やよりさんの言葉より
川田)
閉会のあいさつらしいことを言わないといけないのですが、昨年末に亡くなられた松井やよりさんの言葉を最後にご紹介します。
「私が若いときに一番考えたのは、世の中を変えたいということだった。世の中を変えたいという気持ちをずっと持ち続けてきた。それが一つの支えになってきた。別の言葉で言えば怒りということじゃないかな。」
これを閉会の言葉にかえて終わります。どうも、ありがとうございました。(拍手)
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