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リレートーク
1.パネリストからの問題提起
「文学者」と《反戦》
――高 和政(コウファジョン)さん(中央大学付属高校教員)
高)
はじめまして。高和政と申します。
私は在日朝鮮人三世なのですが日本の「国語」の教員であるという、ある種矛盾した立場にいながら、いろいろ考えている者です。湾岸戦争に反対した文学者たちの運動高)以下レジュメに沿って、ここ十年の知識人の言葉にしぼって話をしたいと思います。
湾岸戦争(91年)の際には、その状況に抗すべく「『文学者』の討論集会」が行われてアピールが出されました(レジュメの冒頭)。この集会は、柄谷行人、中上健次、川村湊、田中康夫、高橋源一郎、いとうせいこう、といった今でも非常に有名な人たちが中心になって開催したものです。それまで反戦運動や反核運動にかかわってこなかった人たちが、新たにこういう集会をもったわけです。そして、「私は日本国家が戦争に加担することに反対します(声明1)」「現行憲法の理念こそが最も普遍的かつラディカルであると信じる(声明2)」というかたちで、新たに憲法の理念というものを提唱したのです。この集会を担った文学者たちは、このアピールに沿ったかたちでさまざまな発表媒体に反戦の言葉を記していきました。
こういう動きにたいして、憲法九条の扱い方の問題などさまざまな批判が寄せられました。しかしそのことも含めて、憲法九条の理念をあらためて見直し、戦争の記憶をとらえ直す契機としてあり得たのではないかと思うのです。
九〇年代前半というのは、一気に日本の戦争責任、あるいは戦後責任が問われた時期です。ご存じのように、元日本軍の「慰安婦」だったキム・ハクスンさんが、初めてカミング・アウトされたということが、一つの象徴的な事件としてありました。そのような状況のなかで湾岸戦争が起こり、新たな戦争に直面するわけです。その中で憲法九条の理念をあらためて見直そうという動きが出ました。やはり、それは一つのチャンスだったのではないかと思います。例えば、文学者の側から反戦というものを編みなおし、実践していくことも可能だったのではないかと思うのです。
日本の右傾化の一因となった文学者たちの「転向」
高)
しかし現実は、そのようにはなりませんでした。94年以降、日本社会において、日本の戦争責任が問い直されるという動きに非常に強いバックフラッシュがかかって、日本社会の右傾化が一気に進行していきます。その中で「『文学者』の討論集会」にみられたような動きは見事に消えていきます。そのことがよく現れているのが、加藤典洋の『敗戦後論』とその評価のされ方だと思います。加藤典洋は、次のように文学者の反戦集会「アッピール」を批判しています。
「『反戦』の理由を平和憲法の存在に求める形になっていたことだった。
……そうかそうか。では平和憲法がなかったら反対しないわけか。」などという倒錯した論理をたてています。
この「反戦」批判の論拠は、「押しつけ憲法」論でした。加藤典洋は、戦後日本の「ねじれ」の源に、「押しつけ」られた「平和憲法」という「矛盾」を見、この「矛盾」に目をつぶる「自己欺瞞」として「アッピール」を批判しているのです。
このような主張にたいしては、高橋哲哉さんをはじめとして、非常に強い、きわめて説得力のある批判が寄せられ、戦後責任論争につながっていきます。しかし、加藤典洋による批判の対象になった文学者たちの反応は違いました。それはレジュメに引用した川村湊や高橋源一郎の文章です。
この二人は、先の文学者たちの「集会」の中心的な人物でした。しかし、彼らは加藤典洋の批判に対抗するのではなく、逆に自分たちの〃偽善性〃を認めてしまったのです。彼らが、加藤典洋の「押しつけ憲法」論に結局たちうちできなかったこと、そして自分たちの行動を「欺瞞であった」と言ってしまったことは、たとえば、反戦運動や平和運動は有効ではないものとして避けられてしまう、そして憲法九条改悪が当然視されるという現状を招いた一つの要因になっているような気がするのです。
9・11以降露わとなった文学者の沈黙、「転向」いまこそ憲法九条を生かし、市民的不服従を
高)
このことは、9・11事件以降、現在に至る状況にはっきり現れているだろうと思います。湾岸戦争時には、反戦の声をあげた文学者の多くは沈黙していきます。その中で、柄谷行人は「これは予言ではない」という文章を9月16日という早い段階でインターネット上に発表しました。
「今後、日本では、憲法改正をはじめ、戦争への参加が急速に推し進められるだろう。それに抵抗することはできないだろう。それは湾岸戦争の時に始まったのでありそのときに抵抗しなかった奴らが今できるはずがないのだ。」なんて言っています。
湾岸戦争時に文学者による「新たな反戦」を提唱した人物が、湾岸戦争時と現在との関係を言いながら〃抵抗することは無駄だし、できるはずもない。戦争はやってくるのだからその後に備えよう〃という、見事なまでに現実に屈服してしまっている文章を書いています。「そのときに抵抗しなかった奴ら」なんていう言い方で、さまざまな可能性を切ってしまっているとも言えます。
この文章は9月11日の5日後に書かれたということで、ある種の興奮状態の中で筆がすべったと思いたくもなるのですが、どうやらそうではありません。次の文章では自分を小林秀雄に擬しながら、それによって抵抗をあきらめることを正当化しているのです。つまり、現状を読めない、愚かしい左翼がいるから抵抗を断念することは仕方がない、といった論理をたてています。
このように、11年前には声をあげた文学者たちが沈黙し、その中心的人物であった柄谷行人はこういう文章を書いています。このことは、〃反戦なんて偽善だ、抵抗するのは意味がない〃という論調に大きな論拠を与える結果になっているのだと思います。山田詠美と笠井潔の主張が、その典型的なものです。
山田詠美は「湾岸戦争時みたいに、大上段に構えて戦争について語る人たちに対しては『バカみたい』と思ってしまう」と言っています。笠井潔も、〃いま起こっているのは新たな戦争だ、戦争が意味を変えて「戦争」という言葉ではくくれなくなった。だから反戦もだめなんだ〃というかたちで反戦運動自体を否定しています。彼らは、従来の戦争と同じように現在の戦争でも人が殺されているにもかかわらず、あえてそれを見ようとはしていません。
しかし、こういう論理が大手をふっているのが現状だと思います。まさに戦争を目前とするこの状況の中でも「抵抗なんて意味がない」と公然と説いているわけです。そういう状況ですから、本当に、私たちひとりひとりが市民的不服従をしていくしかないと思います。抵抗としての非暴力、この視点からもう一度、憲法九条を見直し、「戦争モード」となっているこの状況に抗って暴力の連鎖を断ち切るために、暴力への非暴力的なたたかいをしていかなくてはいけないと思っています。(拍手)
いま、日本の政府・マスコミが牙をもって在日に襲いかかっている
――徐龍輔(ソリョンボ)さん(朝鮮大学校生)
徐)
ヨロブン、アンニョンハシムニカ!
いま僕は朝鮮・韓国語で「みなさん、こんにちは」と言いましたが、いまこのようなものが弾圧されようとしています。
それが今の日本の状況だと思います。僕が在日の身近な視点から語りたいのは、こういうことです。もしかしたら、「朝鮮大学校」と聞いたときに「朝鮮大学校↓朝鮮総連↓北朝鮮、ああ怖い」と思った人が、みなさんの中にもいるかもしれません。
まず、みなさんが関心を持っている「拉致問題」について、僕も謝罪の意を表したいと思います。
なぜなら、「拉致」という問題を起こしてしまったことについて、「北朝鮮」だけでなく「北朝鮮」を祖国とする僕もみなさんに謝らなければいけない。そのような立場で、僕はみなさんにまずひとこと謝りたいと思います。
次に、在日の身近で起こっていることを話していきたいと思います。
いま日本のマスコミが牙をもって在日に襲いかかっていると思います。ひとつ面白い例があります。
僕は今年の四月から五月にかけて、朝鮮大学校の講習ということで「北朝鮮」に滞在していました。そして先日、日本のある雑誌で「スパイ養成機関を発見」という記事を見たのですが、実は僕はそこで勉強していたのです(笑い)。
自分が実際に見たものをマスコミによって否定されるという恐怖、それは本当に怖いことです。
また、チマ・チョゴリ引き裂かれ事件などが僕の身近でも起こっています。
僕は、実際にその学生のところに行ってチマ・チョゴリを見てきました。バッサリ切られていて、本当に怖い思いをしたのだろうなと思って、いろいろ考えました。しかしそれすらもマスコミは否定してしまう。そして「さあ、戦争へ」となっています。有事法制が問題になっていますが、それは「北朝鮮」を〃敵国〃とするもので、僕も怖いです。
かなり身近なところでは、朝鮮大学校の近くでも右翼の煽動が激しくて、いま大学の周りを警察が警備しています。
いま僕たち在日の近くではそのようなことが起こっています。
みなさんの目の前にある戦争に反対してほしい
徐)
みなさんに伝えたいことは、このいまの戦争へ向かっている状況をどう見るのか、マスコミが言っていることを鵜呑みにしていいのであろうか、ということです。僕は在日です。在日がなぜ生みだされたのか、それは戦争によってです。戦争によって生みだされたものであるから、僕はこれまで戦争の怖さをできるだけ知ろうと努力してきました。しかし、いま目の前に戦争があります。この目の前の戦争にたいして、みなさんが反対の声を高めていただきたいと思います。僕も在日として、「北朝鮮」を知っている人間として、戦争なんか起きて欲しくないので、みなさんに戦争にたいする視点をしっかり持っていただきたいと思います。
いまの状況について、あるおばあさん(ハルモニ)は「日本人がみんな『戦争、戦争』と言うから、自分は日本人の友人にさえ何も話しかけられなくなってしまった」と言っていました
。
僕の友だちの中にも「朝鮮大学校? え? 北朝鮮なの?」と一歩さがって反応する人が多いのです。この状況も怖いです。本当に身近に戦争が近寄ってきている、と思います。みなさんが言葉で「戦争反対」と言っていたその「戦争」がいま身近に起こりつつあることを最後に述べて、アピールを終わりたいと思います。(拍手)
司会)
ありがとうございました。切実なお話でした。
私は、90年代のはじめに学生を連れて朝鮮大学校を訪問して交流したことがあります。そのとき僕は、連れていった学生たちが、例えば「村山内閣(当時)についてどう思いますか」と質問されても何も語れないという現実に直面しました。これは一体どういうことか、いまも考えつづけています。
日本の戦争犯罪を忘れ去ったかのような「拉致報道」に腹が立つ
――尾形 憲さん(テロ特措法・海外派兵は違憲 市民訴訟の会)
尾形)
私は埼玉県入間市に住んでいます。ここは戦争中、陸軍航空士官学校がありました。私は二年間ここにおりました。当時の仲間は特攻隊として沖縄やフィリピンで死にました。しかし彼らも――徐さんからお話がありましたが――アジア2000万人を殺した加害者だったということは免れられません。さらに、いま「拉致問題」について、それこそ明けても暮れても報道されていますが、戦争中、80〜90万人、あるいは200万人ともいわれる朝鮮の人たちを強制連行して強制労働させました。まさに拉致です。広島・長崎への原爆投下で五万人ともいわれる朝鮮人が被爆しました。そういうことを忘れ去ったかのような報道に腹が立ちます!
こうした悲惨な戦争の反省のうえに、戦後、平和憲法ができて、戦争を絶対にしない、戦力を持たない、そういう誓いを世界にしたわけです。ところが警察予備隊ができ、保安隊になり、さらにそれが自衛隊になった。「自衛隊」ですから自分の国を守る、それとも自分を守るのでしょうか? あれは国民を守りません。
アメリカの理不尽な戦争と日本の参戦は許せない
尾形)
いまや「テロ特措法」が制定され、アメリカの理不尽な、国際法も完全に無視した戦争に日本が参戦しています。いまもアフガンのいたいけな子どもたちが凍え死に、あるいは飢えて死ぬ、そういう状況をつくりだす片棒を日本が担いでいるわけです。
絶対許せません。
アメリカは絶大な武力を持ち、エシュロンで衛星通信によりビンラディンの会話なども全部盗聴しています。それから「象のオリ」に象徴されるようなすごいアンテナで世界中の電波をキャッチし、スパイ衛星で300キロメートル上空から自動車のナンバープレートも読みとることもできます。このように、活動家のあらゆる動きをつかんでいます。しかし、所詮、武力をもってしては民衆の平和と安全を守れないということが、9・11事件によって如実に示されたわけです。
私は、明日(12月9日)からアフガニスタンに参ります。実際に被害を受けた人たちに原告になってもらいたいと思います。米軍による攻撃の被害の調査もします。私たちは、7月11日に原告253人で政府にたいして違憲訴訟を起こしたわけですが、10月30日に第一回公判がありました。お手許に配ったビラにありますように、12月25日の午後3時から埼玉地裁で第二回の公判があります。それに先だって21日に、森井眞さんをお呼びしてみんなで気勢をあげようという予定であります。
アフガニスタンでは、次のようなことが起きています。朝起きてみたら子ども三人、親と五人が固く抱き合ったまま凍え死にしていた。食べるものが何もないので土や雑草まで食べていたそうです。火もありませんが、しかし母親は鍋に水を入れてかき回している。それを見て子どもが「ああ、お母さんが何かつくっているな」と思って元気がでる、こんなことが実際にあるのです。一日の生活費が日本のお金で2百数十円だそうです。千円札一枚あれば、4人家族を一日サポートできるわけです。いま、カンパを集めています。百万円を目標にしていましたが、もう90万円を超えました。みなさんもアフガニスタンの飢え死にしそうな、傷つけられた子どもたちにカンパをお寄せください。みなさんの気持ちを是非私に届けさせてください。(拍手)
憲法は私の人生の骨格。在日やマスコミで頑張っている人との連帯を!
――佐々木 順二さん(日本国憲法をくらしに生かす会)
佐々木)
「日本国憲法をくらしに生かす会」の佐々木です。きょう12月8日は、61年前、太平洋戦争が始まった日ですが、私はそのとき小学校四年生でした。雪が降っていました。先生が「日本がアメリカと戦争をすることになった」というお話をされました。それから四年後、広島・長崎に原爆が落ちて戦争が終わりました。私は、そのとき国民学校高等科二年、いまでいうと中学校二年生です。十三歳でした。そういう体験をしておりまして、文字通り軍国主義教育を受けた者です。幸い私は、「マインドコントロール」が解けるのが早くて、天皇が戦争を始めたということも知りました。
戦争が終わって翌46年11月3日に日本国憲法が公布され、47年に施行されてこんにちに至っています。
しかし、1950年から朝鮮戦争が始まりました。そのときから日本国憲法を壊し始めていくわけです。警察予備隊ができました。朝鮮戦争が始まって、朝鮮問題というものを真剣に考えざるをえない、そういう私の青春時代でした。憲法がどうなっていくのかということは、私個人の人生の歩みの中で骨格になっているのです。
非常に危険な状況の今こそ、連帯してがんばろう
佐々木)
衆議院と参議院に憲法調査会が設置されて以来、都合のつく限り傍聴しております。傍聴して印象に残っているのは、中曽根康弘さんの出席率がいいですね。欠席者が多くて空席が目立っても、例のお顔付きで腕組みして、参考人陳述があればその陳述をゆっくり聞いています。憲法調査会が11月1日に「中間報告」を出しましたが、憲法「改正」への道を確実に歩んでおります。遅くとも二年後には「最終報告」が出ます。早ければ来年中に、憲法「改正」、われわれからすれば改悪の是非を問う「国民投票法案」が、場合によっては来年の国会で審議されるのではないかと危惧される状況になっています。
しかも、教育基本法を改悪する動きもでています。非常に戦争の危険がともなっている状況で、イージス艦までだす時代になってきており、私は大変危惧しております。それから、最近の作家の言動を分析された高さんのお話――私は大変勉強になって、それを知っただけでもここに来た価値があるのですが――を聞くと、やはり危険なところにきていると思います。私は、これは何とか阻止しなければいけないと思っています。
しかし、私は再確認したのですが、きょう、この場に高さんと徐さんという若き在日の青年がおいでになっていることに私は希望を持っています。私なりに歴史を勉強してみましたが、戦争中は民衆の運動自体が弾圧されていたために、きょうの集会のようなことはできませんでした。
あのNHKですら、日本を戦争に導いていった近衛文麿の子孫を出演させて戦争をふり返るスペシャル番組をつくっています。これは、われわれからすれば完全に良いとは言えませんが、いろいろな問題を提起してきています。ですから、マスコミの中でも、新聞社の中にも頑張っている人がいることはいるのです。ですから、この社会の中でのわれわれの運動は大変重要になってきているのではないかと思います。絶望的なところには運動の発展はあり得ないわけですから、私は、在日の朝鮮・韓国人の方々はもちろん、東京におられる外国の方々も何らかのかたちで連帯していくことが大事だと思います。
太平洋戦争当時、小学校四年生だった者が61年後に、このような場で話をするなど想像もしていませんでした。しかし私としては、きょうの数ある集会の中で、この場を選んで来られたみなさんに敬意を表して終わりたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。
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